清田さま、本日は宜しくお願い申し上げます。
「石田一龍」の清田です。宜しくお願い致します。
まず初めに店名の由来をお伺いできますでしょうか。
当店は北九州ラーメンが発祥でして、博多ラーメンのように北九州ラーメンも盛り上げたいということから北九州市の地名からとって石田一龍と名付けました。
そんな石田一龍さんの開業のきっかけを教えてください。
きっかけは地元から離れて生活している人に故郷を思い出してもらえる場所を提供したいなと思ったからです。つまり大阪にいる北九州出身の方がいつでも地元に帰って来たような気持ちを味わえるような場所を提供したくて北九州ラーメンを大阪に出店をしました。
いつでも故郷に帰ったような気持ちにさせてあげたいということですね!
開業されたのはいつ頃でしょうか?
石田一龍は十二年前からありまして、大阪に私が出店したのは三年前になりますね。
やはりコロナの影響はありましたか?
オープン当初は来客数もかなり多かったのですが、コロナが始まった時は半分以下にまで減ってしまいました。そこから赤字が続きまして、何か対策を取らねばと思いSNSに力を入れましたね。ある意味怪我の功名と言いますか、コロナのおかげで今までやってこなかったSNSに力を入れることができ、売上向上にも繋がりなんとか持ち堪えることができました。
コロナによって落ち込みはしたものの、新しいスキルを得る良い機会となったということですね!
「石田一龍」さんの名物、ウリを教えてください。
うちはスープを店舗で炊き上げているところですかね。天神橋商店街にあるのですが、この場所で本社から配達されたスープでなく店舗で実際に炊き上げているのはうちだけだと自信を持って言えます!豚骨を仕入れて自分達でゼロからやっていることはウリですね。
自社でゼロから作られているのですね!写真からでも伝わってくるほどすごく美味しそうです!メニュー開発などは清田様が行われているのでしょうか?
フランチャイズですので本社でのメニュー開発が基本とはなるのですが、うちの大阪天満店限定のメニューもございます。そういった限定メニューは私であったり従業員で開発していますね。
スープがオリジナルなだけでなく限定メニューもあるのですね!
どういう経緯で飲食の世界に足を踏み入れられたのでしょうか?
大学卒業後はもっと広い視野を持つために就職をせずにアフリカ共和国とドミニカ共和国に滞在しまして、海外から見た日本を学んでいたんです。そこでアニメとラーメンが人気だと気づきまして、就職するならそこだと思いラーメンの道へと進みました。もともと海外でラーメン店を開く予定だったのですが、日本に帰ってきて最終的に大阪でラーメン屋を開くことにしましたね。
海外留学の経験を踏まえて今のお店づくりがあるということですね。
これまでで一番大変だった時のエピソードなどがあれば教えてください。
常に大変なことの連続なのですが、一番はやっぱり資金売りが大変ですね。売上と支出を考えてノルマを決めるのですが、数字を追いかけることはやはり難しなと思いますね。
逆に飲食店をやっていて嬉しかったことはなんですか?
当然お客さまに喜んでいただけるのことは嬉しいですし、お客さまだけでなく従業員にも働いていてよかったと感じさせてあげられる時はやはり嬉しいですね。どちらも大切にし、どちらからも感謝されるよう意識して経営していますね。
お客さまだけでなく従業員の幸せも考えられているのですね。
お仕事のこだわりやポリシーなどはございますでしょうか?
原価と手間と人件費は惜しまないということですね。スープを自社で炊き上げている分原価は高くなっていますし、豚骨を洗いスープを作るのに十六時間かけているので手間もかかります。ただそういうところは絶対に惜しまないようこだわってやっていますね。
お客さまにとって最高の一杯になるようこだわっているということですね。
「石田一龍」さんの今後の展望を教えてください。
九州が故郷の方の憩いの場にしたいというのは開店前からの目標ですね。ただそれだけでなく、商店街のいろんな店舗とコラボしあって商店街全体を盛り上げて、商店街に来る人の数を増やし活性化させていきたいなと思っています。
商店街の活性化を目指すことはお店づくりにも直結していますね!
最後に若者に向けてメッセージをいただけますでしょうか。
結果というのはやってみないと分からないので、消極的になってしまうのは良くないと思っています。一番大切なことは”覚悟と執念”をもって挑戦することですね。これさえあれば成功への道は広がっていくと思っています。
清田さま、本日は貴重なお時間をありがとうございました!
ありがとうございました!